住之江派遣隊 隊長 藤本建太さんインタビュー
昭和47年、住之江競艇場の旧南門有料指定席警備を担当したのが今のヤマトの始まりです。そんなヤマト創業の地である住之江競艇場の警備スタッフの隊長、藤本さんにお話を聞いてきました。はじめに隊長の仕事を簡単に教えてください
簡単に言ってしまうと「現場監督」ですね。
判りやすい仕事の例を挙げると、大きな事案が発生した時の対応や、ユーザーとの折衝、本社への連絡、報告などです。
今年の4月に隊長になってそろそろ半年。やはり以前とは仕事に対する姿勢も変わりましたか
そうですね。やっぱり仕事に対する気持ちも変わりますね。これまでは自分は副隊長で、上に隊長がいて頼れる人がいた訳ですが、今はいない。
無責任に言えば好き勝手に出来る立場なんですが、ここ住之江はヤマト創業の地であるだけでなく、スタッフも他の勤務地と比較にならない程多くの人が働いています。この人たちの生活を守らなければならないという重圧を正直感じます。
生活を守るというと?
自分はヤマトで働いて10年になるのですが、初めて昇進して班長補佐になった頃から「お客様には2つある」と考えるようになったんです。つまり、競艇を楽しみにくるファンと、ユーザーです。
どちらのお客様にも満足してもらえないと自分達の仕事は成立しません。不況でもヤマトのスタッフがこの施設にかかせないと思っていただけるサービスを心がけ、またアピールしていかないと。
なるほど。生活を守るというのはそういう意味が含まれているんですね。では話を変えて、今まで住之江競艇場で働いてきて印象に残った出来事を教えてください
色々ありますが、2001年に開催された第16回賞金王決定戦の優勝戦での山崎智也選手がフライングを切った時ですかね。騒擾事案にこそなりませんでしたが、印象深い出来事でした。
来場者の多い施設では本当にどんな事案が起こるか判りませんね。
その中でもやはり賞金王決定戦競走開催時はもっとも来場者が多いのではないかと思うんですが、やっぱり大変ですか
いえ、自分達にとっても賞金王は大きなお祭りみたいなもので、特別大変ということは感じないですよ。むしろ開催地が別の競艇場の年は寂しいくらいです。 今の仕事のやりがいを教えてください
重圧やプレッシャーも確かにありますが、今までの人生の中で人をまとめるような仕事に就いたことが無かったので、いざ隊長になってみると、やりがいもあるし楽しいなと。こんなに楽しいなら学生時代に生徒会長や学級委員に立候補しとけば良かったなんて思うくらいです(笑)
では最後に今後の目標を教えてください
今だからこそヤマトの底力を見せないと!住之江競艇場の仕事はヤマトの土台のようなもの。
崩さないように頑張って生きたいと思います。
開催期間中にお話を聞きに行ったのですが、まだまだインタビュー慣れしていない生田の質問にも丁寧に答えてくれました。お忙しい中ありがとうございました。
それでは本日はここまで
以上生田がお伝えしました。